2022.03.17

 

恋ってなんだ?好きってなんだ?って考えたことない人っているのかなあ。

 

人を好きになると、これが恋だ!と決めつけて駆け抜けてしまうけど、いざ終わってみると全てが空っぽで無駄なように思えて、ある意味 もう恋はいいやぁ という気持ちになる。そんなもんだよ、と言われればそれまでなんだけど、自分の中で納得したくてこんなはっきりとした答えのないことばかりを考えてしまう。

私にとって、恋愛感情としての好き、は、家族や友人、音楽やアーティストに感じる愛おしさとはまた違う。刹那的で、儚くて、ずっと終わりと隣り合わせでいる感じで、だからこそすごく手軽なものに感じてしまうもの。風邪をひいて寝込んでいるときのあの感じに似ている。ずっと苦しくて、夢と現実の境目が曖昧で、でもいつか必ず終わりがくることを頭の端でずっとわかっている。数日で元通り、すぐに苦しさも忘れてしまう、私にとっての恋は大体そんな感じ。

 

こんなことを書きたくなってしまったのは、吉本ばななの本を読んだから。こんな私だけれど、彼女の本を読むと、恋がしたい!!!という気持ちになりがちだ。自分以外の他人と時間を重ねて、言葉を積み上げて、時には傷つけあって、一つにはなれずとも、それでも心を通わせようとする人の姿はこんなにも儚く美しいのか、と感情が昂る。男女である前に、人と人とがずっしりと対峙しているところに強く惹かれているんだと思う。誰かと共に生きるということを諦めたくないな、と考えさせられる。鼓舞させられる。

彼女の本を読んでいたら、こんな気持ちになった。いつか、私が大切にしているものとおんなじように大切に何かを持っている人が現れたら、考えられるすべての言葉を尽くしてお互いのことを話して、ぜんぶ頷くことができずとも、相手の大切を大切にしたい。私はまだまだお子ちゃまだから、いつかそんな相手と出会えると、今だに信じちゃっている。私はまだきっと、本当に好きな人に出会ってないだけ。

さすがにやばいのかな?まぁ、言うだけタダだし、言わせといてくれや。

 

こうやって取り留めもなく、ぐるぐると考え事をするのが私は好き。こういうことばかりしてきたから、音楽や小説、誰かが作った温度を感じる創作物に惹かれるんだと思ってる。

自分ではない誰かのフィルター越しに見える世界や考え方にすごく興味があるし、それを見て、聴いて、読んで、体験して、自分の中で消化していく中で新しい発見があったり、考え方や捉え方の再構築をしていく時間がたまらなく好き。私はあんまり人と一緒にいるのが得意ではないし、生きづらいなあと思うことも多いけれど、それでもやっぱり人間が好きで、会話をすることが好きなのは、作品を通して人に触れることで、他者と関わることの素晴らしさを教わってきたからだと思う。一人でも一人ぼっちにならずに済んできたのはたくさんの言葉が寄り添ってくれているからだ。

 

考えすぎだよ、と言ってくる人もいるけど、想像力がない奴ほどつまらない奴はいないと思っているから、このままでいい。こんなことをしてなんの意味があるのかは私にだってわからないけれど、こうやって積み重ねていくのが生きるってことなのかもなあと漠然と考えてる。私はこれからもずっと考え続けていたい。傲りだね。

 

 

 

 

花粉で目が痒くて、目を瞑っていたらいつの間にか眠ってしまっていた。こうやってあっという間に月日は流れて、今年もまた、春がやってくる。お花見したいね。