2020.04.18

 

 

 

4日間、連続でライブを見た。帰ってきて速攻でパソコンを開いて書き始めている。

何を書いてしまうのか自分でもわからない。でもこの感情はしっかり残しておきたい。

 

コロナ禍になってから、ずいぶん経った。生きるために必要のないとされる音楽業界は、ライブハウスは、だいぶ厳しい状況に追いやられた。音楽業界の人間ではないが、ちょうどライブハウスでバイトをしている時にこの状況になったので、少しは状況をわかってるつもり。そして新しいルールのもとで、少しづつライブをし始めた。ああでもないこうでもない、来る人全員が心配に、不安になるようなことがないようにと試行錯誤を繰り返して、今日まで、なんとかライブシーンは続いている。以前とは異なるライブを、参加する全員で作ってきたと、厚かましくも思っている。

 

でも、私自身、この状況下で見てきたライブ、全てが胸を張って、ライブに行きました!と言えるものではない。もみくちゃになるフロアを一度も見ていない訳ではない。

私は十代、学生の頃にそりゃ死ねほどそういうもみくちゃのフロアでわいのわいのやって、生きてる〜と思ってきた人間だ。だから言えない、好きだと思える場所ができたのが2、3年違っただけで、フロアで暴れ回ることを、叫び、歌うことを、マスクをしないことを、やめてくれだなんて、情けなくも言えない。

私が考えすぎなだけなのかもしれない。小さいライブハウスの出来事ばかりだし、若い子ばかりだし、最悪の事態は起きていないし、別に法に触れるようなことをしているわけではない。

でも私は知っている。この状況下で、ルールを遵守して、以前とはまた違った、最高にかっこいいライブができるバンドがいることを。そこに集まる人たちの、強い意志を感じるライブが一番かっこいいことを。知ってるんだよ。

 

今日のライブは、ずっとそんな気持ちで見ていた。何度も悔しくて涙が出てきた。

 

始まる前に、隣の男の子が、俺、一曲しか知らねえ笑と言っていた。私の大切だったはずの曲たちが、よくわからない暴れたいだけの人たちに黒く塗りつぶされていくのをただ突っ立って見ていることしかできない自分に嫌気がさした。私がひとり夜に縋り付くように聴いていた希望の音がもしかしたら全て幻だったのかもしれないと思った。悔しい、わたしが大切にしてきたものが、一瞬で壊されてしまった、と駅までの帰り道涙は止まらなかった。

 

正しさは、複雑で歪で、私の思う正しさと誰かの思う正しさが同じなんてことはないだろうし、悲しいかな、悪だと思うことだってあるんだろう。

でもわたしはやっぱり、会う機会が少なくなった大切な友人たちや少しボケ始めている大切な祖父母、離れて暮らす大切な姉に会う時に、胸を張って会いたい。あんな場所に行ったけど大丈夫かな?なんて思いたくない。音楽は、バンドは、ライブハウスは、最高にかっこいいと、胸を張って言っていたい。

誰かを正そうとするな、ただ私は、私が正しくあれ。

 

大好きだったはずのライブハウスが、今は少し、遠く感じる。

 

 

 

 

 

2022.04.17



金曜日、会社で限界を迎えてトイレで泣いてしまった。

ずっとしんどかったけど、なんとか心の黒い部分に蓋をして、大丈夫だと言い聞かせて、毎日毎日職場に行っていた。でもきっとみんなそうだし、みんな苦しいし大変だし、そう言い聞かせてきた。

朝方まで眠れなくて平均4時間睡眠を延々と続ける生活。職場では頭が痛くてお腹も痛くてめまいもしていた。駅のホームではいつもソワソワしていて、いつパニックの発作が起きてもおかしくないな、やべえ、とどこか他人事のように思っていた。でも私には音楽があったし、大切な家族や友人がいたし、全然平気だった。


それがささいなきっかけで堰を切ったようにドバドバ溢れてしまって会社で泣いた。金曜日。


その日は夜に弾き語りのライブだった。正直もう行く元気なかったし、心ここに在らずみたいな感じだった。ふらふらの足取りで何とかたどり着いた会場。すごくあったかい空間で、自分が好きな音楽を好きな人がこれだけいるんや、自由だ。まだ生きられる、そう思った。心が少しだけ軽くなった。

そのまま寝ずに、5時に家を出て石川県まで。

クリープハイプのツアー初日。

中学生の頃から大好きなバンド。沢山の思い出があるバンド。ライブを見ていたらたくさんの想いが溢れてきた。でも最後の曲が終わって、尾崎さんがステージをあとにして残った感想は、ありがとう、大好き。あなたがいたから生きてこれた。それだけだった。

最後の曲は最初の1音が鳴っただけで涙が止まらなくなってしまって俯いたまま嗚咽をこらえるのに必死だった。ステージを全然見られなかったけど、力強い彼らの音楽が何度も背中を撫でて、柔らかく押してくれるようだった。

尾崎さんは泣かなかったし、涙なんて邪魔になるだけで大事なものが見えなくなるから絶対に泣かないと思っていたのに、ずっと目は涙で滲んでいた。クリープハイプのことになるといつまでも1番しんどかった学生時代の記憶が香ってきて、感情がぐちゃぐちゃになって溜め込んでいたものが勝手に出てきてしまう。自分でも気がつかなかった自分の苦しさやしんどさの蓋が開けられてそれをクリープハイプが燃やしてくれる。その火の粉は本当に熱くて本当にキラキラしてる。クリープハイプがいてくれて本当に良かった。


コロナ禍になってから1度もライブに行っていなかった姉と久しぶりに一緒にライブに行った。席は別々にとっていたけど、同じ空間でライブを見れているということが嬉しかった。

この曲はお姉ちゃんが好きな曲だ!よかったね!!とか思って聴いていて、ライブ後に姉に言ったら、姉も私に、この曲刺さったでしょ?とか言い当ててきて、相思相愛じゃん、、、と思った。同じ曲で泣いたり、笑ったりしてたんだ、やっぱ姉妹や。そう思った。

声は出せなかったけど、クリープハイプとお客さんがずっとコミュニケーションを取ってるようなライブだったね。みんなそれぞれ楽しんでてさ、みんながそれぞれの楽しみ方を尊重することですごい一体感だったよね。とっても自由な一体感だったよね。と、そんな事を熱気冷めやらぬ中話し続けた。

これだよね、そうこれ。ライブにしかないんだよこの感覚。あー最高。久しぶりのライブがクリープハイプでよかった。と言いきった姉を見て、やっぱお姉ちゃん好きや、とか改めて思ったりした。


どれだけ離れた場所で暮らしていても、いつも近くにいる会社の人たちなんかより大切な人たちはずっとわたしの近くにいる。そんなことを思った。

誰かを正そうとするな、私はただ、私が正しくあろう。大切に思ってくれる人のことはやっぱり絶対に大切にしよう。そしてそういう人がいることを、忘れないでいよう。帰りの新幹線の中でそんなことを考えている。


このまま家に帰らずまたライブへ。

悪いことをしてるんじゃないんだから、楽しみな。それだけ胸が熱くなるようなものがあるってのはいい事だよ。自意識過剰だよ、全然見られてないよ。大丈夫大丈夫。もう話したいこと話しきった?


たくさん大切にしたい言葉をもらった。生きた先で、今よりたくましくなった自分で、また必ず会いたい。



2022.04.12

 

春を待っていたはずがあっという間に夏みたいな気温になっている。あっちーと思いながら最寄りの駅まで走っていたら私のひざ丈くらいの女の子がトコトコ道路に向かって歩いていた。危ないなーと思っていたら後ろからお兄ちゃんらしき男の子が駆けてきて、女の子の手を取ろうとした。のに女の子は思いっきりその手を振り払った。女ってこの年頃からめんどくさいとこあんのかよ〜と思ってなんかちょっと心配になってしまい遠目に見ていたら、それでも嫌な顔ひとつ見せず何度も手を握ろうとするお兄ちゃんに、あいつぁ将来でけえ男になるぞ〜と感心してしまった。心が春みたいな暖かさに包まれた、朝。

 

 

先日、好きなバンドが主題歌の映画が公開された。わたしは公開日が誕生日だった。もうその時点で私のオタク心は運命じゃん、、、と叫んでいた。

楽しみすぎて原作の本を読んでみたらめちゃくちゃ良くて、より公開が待ち遠しくなった。原作を超える映画を私は見た事がないけれど、それでも楽しみで仕方なくなった。

母は実家に帰って私を産んだので、祖父母がいる場所が私の生まれ故郷だ。映画の主人公のふるさととおんなじ県。だから、主人公のお母さんがしゃべる言葉のイントネーションが祖父母のと同じで、私自身がとても近い存在から言葉を受け取っているような感覚になった。言葉ひとつでたくさんの記憶が、風景が呼び起こされた。私にとってはたくさんの記憶が香ってくるような映画だった。

なんかもう運命じゃん、、、最高や、、、と思っていたらエンドロールで大好きな声が、音が流れ始めて、もう本当にダメだった。本当にありがとうと思った。

 

誕生日なんて、なんかもうあんまり嬉しくないし、ほんとに私この日に産まれたん?知らんてー実感無いてーという気持ちにすらなるけどそれでも絶対にいい一年にしようと思った。

最高速度、最高純度、最高濃度の一年。もうこれで終わりでいい、そんな一年。それしか求めてない。

 

きっかけなんてなんでもいいんだ、どこまでも行きたい

 

 

 

 

 

2022.04.04


あっという間に4月に入っていた。

群がって道を塞ぐ新入社員に鬱陶しいなーなんて思いつつ、でもどっかでは負けんなよーとか思ったりなんかもしていた。


この時期、もう少しするとほぼ毎年めちゃくちゃ病む。色んなことが少し落ち着いた頃に自分でもびっくりするくらい病む。部屋から出なくなる。あれなんだろね?五月病ってやつ?


まぁなんでもいいんだけど、私は今月楽しみなことがたくさんある。もういくつか終わってしまったけど。本当に夢の中にいるみたいな時間を過ごしたり、バンドとしての露出を増やす選択をした彼らの勇姿を見たりして、感情が揺さぶられまくってる。音楽さいこーバンドさいこーと語彙力がゼロになる瞬間がたくさん訪れてる。当たり前じゃない、幸せな事だ。


今すごく好きなバンドがいて、小学生とか中学生の頃に出会ったバンドみたいに聴き漁ってライブに行ってるんだけど、あーこうやって再生ボタンを押す度に曲が記憶になって、ひとつずつ思い出が血とか肉になって私の一部になってって、少しずつ大切になって、信じられる愛おしい存在になってくんだ、あーそうだったわ。ねえ!そうだったじゃん!!!

手軽に誰とでも繋がれて、指先ひとつで情報を得ることができたり、簡単な方法で認められた気になれる温度のない世界に慣れてしまっていた。

あー違うやん。私の信じてたもんはそこにはなんもないのに。忘れてたーあっぶねー。


いつだって私に大切なことを教えてくれたり思い出させてくれるのはバンド。これまでがそうだったみたいに、きっとこれからもそうだ。


自分が好きなもので溢れた世界を、目を瞑らずとも眼前にひろげたい。そのために足掻いていたい。信じたものだけは、愛し抜きたい。




2022.03.29



ミスをした、会社で。

そんな大きなことじゃないが、小さなミスをポロポロとしてしまう日だった。ミスに小さいとか大きいとかがあるのか分からないけど、私の今日のミスが誰かの死に直結することはない。でも確実に誰かが私の代わりに誰かに謝って、そのループが延々と続いて顔の知らない誰かにまで時間と労力を使わせているのかと思うとずしんと胸のあたりが重くなる。自分のこの思考回路には毎度反吐が出る。予防線を張り巡らせて、慰められ待ちみたいなこの感じ、気持ち悪い。嫌になる。


帰り道、桜が綺麗に咲いていたからうつむいて帰らずに済んだ。川沿いの桜は満開に咲いて、夜でもぷくぷくで淡いピンク色だった。


満開の桜を他所に、迷惑をかけてしまった人たちの顔を思い出していた。みんななんともない顔をして、大丈夫だよと優しかった。いつもそう。私は怒られてしまった方が楽だ。突っぱねられて見損なわれてしまった方が、楽だ。だから、優しくされるといつも泣きそうになってしまう。自分の器の小ささを感じながら、もうこの人には迷惑をかけたくないと、自分に責任があることを再認識する。

怒ることは、その人の想像力を奪う可能性があるのかもしれないと思った。優しさに奮い立たされることだってある。


帰り道、そんなことを考えていた。涙は出なかったけど、ずっと泣いている時みたいに息が苦しかった。この感情に、名前はあるんだろうか。

好きなボーカルが弾き語りのライブをするらしい。私の口に合わなかったプロテインで母は今日もお菓子を作ってくれたらしい。桜を見上げながら歩いた。少しだけ、元気になって家に帰る。





2022.03.19

 

 

久しぶりに高校の時の友人と会った。私にしてはめずらしく、素直に思っていることを話せる人だから、今日は自分の脳内整理をするためにも、自分に偽らずに全て話そうと決めていた。

 

私はいつものように集合時間に遅れてしまったが、会うや否やすぐに久しぶり!と抱きしめてくれた友人に対して、こんなこと私にはできないな、と羨ましく思った。

それから私たちは、お互いの近況や考えていることを歩きながらぶっ続けに話し続け、気がつくと3時間ほど経っていた。もう何から何まで話しすぎて、何を話したのかなんてあんまり覚えていないけれど、彼女が私の話に頷いて、ずっと味方でいてくれたことだけは忘れられない。私が誰かを大切に思うように、誰かが私のことを大切に思っていてくれていることを、たくさんの言葉で伝えてくれる人がいること、決して当たり前のことじゃない。私のことを信じてくれる人のことだけは絶対に裏切りたくないと思った。

 

家に帰って、好きなブランドのランウェイショーを見ようと思っていたら、好きなバンドがBGMを担当したと知って、より楽しみになった。画面越しにでも伝わってくるその温度に何度も胸が高鳴り、締め付けられた。私の信じるものは、美しいと再確認できた。最高にかっこよかった。

 

忘れたくない言葉をたくさんもらって、忘れたくない感情に何度もなるような、そんな一日だった。あなたの人生には何度も感情が高鳴る瞬間があるんだね、それはきっとたくさんの人が経験できることではないよ、と彼女は言った。たとえどれだけ苦しい瞬間が訪れたとしても、私は大きく振れる感情の波から目を背けずに生きていきたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

2022.03.17

 

恋ってなんだ?好きってなんだ?って考えたことない人っているのかなあ。

 

人を好きになると、これが恋だ!と決めつけて駆け抜けてしまうけど、いざ終わってみると全てが空っぽで無駄なように思えて、ある意味 もう恋はいいやぁ という気持ちになる。そんなもんだよ、と言われればそれまでなんだけど、自分の中で納得したくてこんなはっきりとした答えのないことばかりを考えてしまう。

私にとって、恋愛感情としての好き、は、家族や友人、音楽やアーティストに感じる愛おしさとはまた違う。刹那的で、儚くて、ずっと終わりと隣り合わせでいる感じで、だからこそすごく手軽なものに感じてしまうもの。風邪をひいて寝込んでいるときのあの感じに似ている。ずっと苦しくて、夢と現実の境目が曖昧で、でもいつか必ず終わりがくることを頭の端でずっとわかっている。数日で元通り、すぐに苦しさも忘れてしまう、私にとっての恋は大体そんな感じ。

 

こんなことを書きたくなってしまったのは、吉本ばななの本を読んだから。こんな私だけれど、彼女の本を読むと、恋がしたい!!!という気持ちになりがちだ。自分以外の他人と時間を重ねて、言葉を積み上げて、時には傷つけあって、一つにはなれずとも、それでも心を通わせようとする人の姿はこんなにも儚く美しいのか、と感情が昂る。男女である前に、人と人とがずっしりと対峙しているところに強く惹かれているんだと思う。誰かと共に生きるということを諦めたくないな、と考えさせられる。鼓舞させられる。

彼女の本を読んでいたら、こんな気持ちになった。いつか、私が大切にしているものとおんなじように大切に何かを持っている人が現れたら、考えられるすべての言葉を尽くしてお互いのことを話して、ぜんぶ頷くことができずとも、相手の大切を大切にしたい。私はまだまだお子ちゃまだから、いつかそんな相手と出会えると、今だに信じちゃっている。私はまだきっと、本当に好きな人に出会ってないだけ。

さすがにやばいのかな?まぁ、言うだけタダだし、言わせといてくれや。

 

こうやって取り留めもなく、ぐるぐると考え事をするのが私は好き。こういうことばかりしてきたから、音楽や小説、誰かが作った温度を感じる創作物に惹かれるんだと思ってる。

自分ではない誰かのフィルター越しに見える世界や考え方にすごく興味があるし、それを見て、聴いて、読んで、体験して、自分の中で消化していく中で新しい発見があったり、考え方や捉え方の再構築をしていく時間がたまらなく好き。私はあんまり人と一緒にいるのが得意ではないし、生きづらいなあと思うことも多いけれど、それでもやっぱり人間が好きで、会話をすることが好きなのは、作品を通して人に触れることで、他者と関わることの素晴らしさを教わってきたからだと思う。一人でも一人ぼっちにならずに済んできたのはたくさんの言葉が寄り添ってくれているからだ。

 

考えすぎだよ、と言ってくる人もいるけど、想像力がない奴ほどつまらない奴はいないと思っているから、このままでいい。こんなことをしてなんの意味があるのかは私にだってわからないけれど、こうやって積み重ねていくのが生きるってことなのかもなあと漠然と考えてる。私はこれからもずっと考え続けていたい。傲りだね。

 

 

 

 

花粉で目が痒くて、目を瞑っていたらいつの間にか眠ってしまっていた。こうやってあっという間に月日は流れて、今年もまた、春がやってくる。お花見したいね。